世田谷紹介!おすすめスポットも

こんにちにゃ!
ねこ納言にゃ‼
世田谷のオススメスポットを紹介するにゃ

神秘的にゃ!横に水が流れてるにゃ
秋に行くときは気をつけてにゃ‼
銀杏が落ちてるにゃーーーー
危険!

2野毛大塚古墳
日本で1番大きい帆立貝形古墳
全長82mにゃ‼
江戸時代後期のガイドブック・新編武蔵風土記稿に、東大塚と紹介されてたのにゃ

3駒繋神社
源頼朝藤原泰衡の討伐に行ったときに、武運を願った場所なのにゃ!

4つりがね池
祖師谷の住宅街のひょうたん型の池。
そこの伝説にゃ
昔日照りが続き食べ物もできなかった。寺の和尚も雨が降るように祈った。そして大雨が降った。村人は寺に行きましたが和尚はいない。寺の釣鐘もない。実は和尚は村人を救うため、釣鐘を抱いて池に沈んだのにゃ。

みにゃさんは招き猫(招福猫児)を知ってるかにゃ?ある説では招き猫は豪徳寺が発祥なのにゃ
「招き猫発祥の地とする説がある。
井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、
和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、
後に井伊家御菩提所としたという。
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、
招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。
招猫殿の横には、願が成就したお礼として、
数多くの招福猫児が奉納されている。
ちなみに、招福猫児は右手を上げており、
小判などを持たない素朴な白い招き猫である。」byウィキペディア

知らなかったかにゃ?招き猫大好きにゃ
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「東京都世田谷区若林に所在する。旧社格は府社。
付近には国士舘大学(世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。
鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。
松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年文久3年)、
高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。
1882年(明治15年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が
創建された。現在の社殿は1927年から1928年にかけて造営されたものである。
松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文
木戸孝正、山縣有朋桂太郎乃木希典井上馨青木周蔵などの
名前が刻まれている。松下村塾を模造した建物、頼三樹三郎
広沢真臣らの墓もある。
松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、
明治元年(慶応4年)、木戸孝允がこれを修復整備した。
墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。
また、敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあるが、
案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。桂自身の遺言により、この地に埋葬された。
ともに松陰神社がある縁から、1996年に世田谷区と
萩市は友好都市提携を行っている。
1992年より世田谷と萩では商店街などの民間交流がはじまった。
若林では「萩・世田谷幕末維新祭り」が開催されている。
なお、徳富蘆花の「謀反論」でも書かれているが、
谷を挟んだ向こう側には豪徳寺がある。
豪徳寺は吉田を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼菩提寺である。」
そういうことにゃ

7世田谷城址公園
室町時代は世田谷御所と呼ばれたにゃ。世田谷は足利一族の名門・吉良氏が治めていたにゃ

おまけ
世田谷にはいっぱい作家が住んでたのにゃ
新婦人協会を作った平塚らいてう
先日「額田女王」という本を紹介したけど、
その作者の井上靖
今も住んでいる有名人は、
松田聖子さん、所ジョージさん、長渕剛さん、松本潤さん、松任谷正隆さん、松任由実さん、八千草薫さん、仲代達矢さん、志穂美悦子さん、(猫納言にはカブトムシ大好きなイメージばかりの)哀川翔さん、ヒロミさん、松本伊代さん夫妻、石橋貴明さん、木梨憲武さん、梅宮辰夫さん、浜田雅功さん、田村正和さん、羽生善治さん、美川憲一さん、三田佳子さん、竹野内豊さん、大竹しのぶさんなど!

というわけなのにゃ
また更新するにゃ!
ばいにゃ!

我が家の招福猫児にゃ!
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